妙行寺についてAbout

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住職挨拶

 この度、法嶺山妙行寺第18世住職に就任いたしました梯(かけはし)真(しん)と申します。2022年9月に門徒総代より入寺の話をいただき、17年奉職しました札幌別院を退職し、2023年4月10日に入寺しました。8月28日には門徒総代と共に真宗本廟へ上山し、宗祖聖人の御前にて宗務総長より住職の任命を請けてまいりました。私は福岡県八女郡広川町の聞信寺の次男として生まれ、18歳まで地元で過ごし、幼少のころから祖母に「お兄ちゃん一人でお寺を守るのは大変だから、あなたも僧侶になってお互い助け合いなさい」と教えられ、京都の大谷大学へ進学しお坊さんの道に入りました。大谷大学では真宗学を学び修士課程を退学し、札幌別院へ奉職しました。札幌別院に17年勤め、お寺に身を置くものとしての姿勢を学び、北の大地に生きる御門徒と共にお念仏の生活を送ってきました。
 ここ長崎でも、妙行寺の御門徒一同と、共に悩み、共に問うて、一緒にお念仏の教えを聞いていきたいと思っております。妙行寺は聞法道場です。聞法道場である妙行寺の本堂を御門徒で満堂にすることが私の願いです。皆様と共に求道聞法して歩んでまいりたいと思います。ぜひ、御門徒一人一人のお寺である妙行寺にお参りしてください。お待ちしております。

責任役員挨拶

 この度、法嶺山妙行寺の第18代住職継承につき、梯 真住職が2023年8月、東本願寺真宗本廟の親鸞聖人御真影の御前にて住職を継承する運びとなりました。
 現代日本の社会状況は目まぐるしく変化します。科学技術の発展、商業社会の広がり、少子化と高齢化、変化を挙げれば限りがありません。今まで通りではいかない時代になってきております。
 このような時代はお寺にとっても無関係ではなく、様々な形で変化を迫られてきております。このような時代状況の中でお寺を護持するためには、御門徒の皆様の声や目線が今後の妙行寺の歩みにおいて大切になると思っております。
 お寺は阿弥陀如来がおられ、親鸞聖人がおられ、多くのお念仏のご先達がおられる場所であります。先達が大切に護持してくださった妙行寺を相続するため、仏様、住職家族、御門徒一同、役僧の方々と共に「本当のお寺」を創っていきたいと願っております。これからも新住職を中心にみんなで力を合わせて妙行寺を盛り立てていきましょう。 合掌

妙行寺責任役員 立山 憲司
他 総代一同

妙行寺の歴史

万治元年(1658年)創立。
開基西順は島原深江村の妙行寺住持であったが、退隠して長崎光永寺に滞在中、
大村藩主、大村因幡守純長の知遇をうけて当寺を創立。
西順は寛文3年9月13日(1663年)に東本願寺より木仏本尊と寺号を許可され、
法嶺山妙行寺と公称して、同年に本堂を建立。
当時長崎は、キリシタン布教開始・開港(貿易)・長崎町建(教会領)・キリシタン禁令・鎖国を経過し、鎖国後も幕府の禁教政策により寺院への再建支援や維持援助など特権や生活保障まで与えての寺院全盛時代を成していた。妙行寺は大村領であったが幕府の禁教令に沿って、戸町村の管轄寺の役を成していた。
安政5年(1858年)戸町村が幕府直轄地に指定されたことによって、寺内の一部をイギリス領事事務所に貸し、境内にユニオンジャックがはためいていた。
創立より365年、毎年門徒一同が本堂に集い報恩講が勤められています。
(1750年頃大村藩内の寺院が東本願寺に転派したのと同時期に、妙行寺も東本願寺に転派した)

歴代住持

十八代 順眞 令和5年~
代務住職 長崎光泉寺住職 令和3年~令和5年(2023)
十七代 紘龍 ~令和3年(2021)
十六代 見樹
十五代 見龍 大正7年~
十四代 法影 明治42年~大正7年(1918)
代務住職 野母村海蔵寺住職 明治34年~明治42年(1909)
十三代 現悟 明治22年(1889)~明治34年(1901)
十二代 麟影 明治4年~明治18年(1885)
十一代 空玄 文政5年~明治4年(1871)
十代 麟今 文化8年~文政5年(1822)
九代 端麟 寛政10年~文化8年(1811)
八代 全麟 宝暦4年~寛政10年(1798)
七代 圓諦 宝暦元年~宝暦4年(1754)
六代 圓也 享保3年~宝暦元年(1751)
五代 潮玄 元禄16年~享保3年(1718)
四代 了空 福田村西光寺順慶の子 元禄13年~元禄16年(1703)
三代 了哲 延宝4年~元禄13年(1700)
二代 素泊 寛文10年(1670)~延宝4年(1676)
開基 西順 万治元年~寛文10年